【聖句】
「主よ、助けてください。おぼれそうです。」
(新約聖書・マタイによる福音書8章25節)
【黙想】
弟子たちの小舟。
湖に漕ぎ出す。
激しい嵐が起こり、舟は波に翻弄される。
弟子たちはこの湖を仕事場としてきた漁師。
そんな彼らでさえ身の危険を覚えるほどの雨風。
そんな中でイエスさまは、
舟の中で眠っておられた、と聖書は言うのです。
そんな主イエスの体を揺さぶって起こし、
弟子たちが叫んだ言葉は今日の聖句です。
「主よ、助けてください。おぼれそうです。」
この言葉を聞いた主イエスは身を起こし、
「なぜ怖がるのか」と彼らに一言し、
風と湖とをしずめてくださいました。
ある人は言います。
弟子たちもイエスさまと共に眠ればよかった。
イエスさまがご一緒なのに恐れるとはなんと不信仰なのか。
そうかもしれません。
でも、ごめんなさい。
たぶん私にはそんなことできません。
波をかぶっているのです。
溺れかけているのです。
主を信頼して静かにしていることが「正解」でしょう。
でも信仰生活は、「正解」ありきではなく、
「正解」に至るための道のりだと思うのです。
恐いのです。
不安なのです。
溺れそうなのです。
そこにイエスさまがおられるのです。
だから叫べばいい。
その叫びが、祈りが、
誰かに「不信仰だ」「間違っている」と言われても、
もういいんです。
「主よ、助けてください。溺れそうです。」
今日だって、わたしは溺れそうだ。
いつだって、わたしは溺れかけだ。
だから弱さ丸出しで、
今日もイエスさまを揺り起こそう。
まだイエスさまと一緒に眠れない自分を
イエスさまに知っていただこう。
強がるな。
立派な信仰者になろうとするな。
今日も、どうしようもなく、
イエスさまを起こそう。
いつか「イエスさまと眠る」ことができる日が来るまで、
何度でもイエスさまに叱っていただこう。
「なぜ怖がるのか」と。
【小さな祈り】
主よ、助けてください。溺れそうです。
今日も、です。
また、なのです。
手のかかる弟子です。
分かっています。
わたしもあなたみたいに、
波をかぶりながらも、
風に翻弄されながらも、
父への信頼のうちに眠ることができたらと思います。
でも、まだぜんぜん眠れません。
イエスさま、
いつかあなたのようになりたいです。
でも、そのときまで、
わたしは幾度となくあなたを揺り起こすと思います。
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*あなたの言葉で祈りを続けてください。
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アーメン。
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