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執筆者の写真元気牧師

9月12日(火)



【聖句】


民よ、どのような時にも神に信頼し

御前に心を注ぎ出せ。

神はわたしたちの避けどころ。


(旧約聖書・詩編62編9節)



【黙想】


神様に心を注ぎだすのです。


「祈りは神様との対話。

なんでもありのままに祈ってよいのです」と

よく教えられます。


はい、その通りです、と返事をし、

そうありたいと願い、

なんとありがたいことかと感謝もします。


でも、胸に手を当ててみてください。


私たちは本当に、

洗いざらい神様に注ぎだしているでしょうか。


いいえ。

実は思いのほか、

祈りに「ブレーキ」をかけていることが多いのです。



数年前に出会った若いクリスチャン夫婦。

外国で出会い結婚したご夫妻で、

奥さんのほうは留学中に福音に触れて

洗礼を受けた方でした。


彼らと共に聖書を読み、

彼らと一緒に祈り合う時を幾度も持ちました。


彼らはブレーキをかけずに祈るのです。

少なくとも、私たちが通常耳にする祈りに比べれば、

圧倒的に「注ぎだす」祈りでした。


神様の子どもとして、

素直に、まっすぐに、ほんとうの思いを注いでいました。



兄弟姉妹。

神様と一対一で祈るとき、

ブレーキはいりません。


「いや、でも」としり込みしたり、言い訳したくなるでしょう?

そんなの無視。

まずは注ぎだし、祈り始める。


注ぐほど、その分、神様に支えられる体験をする。

祈りも、変えられていくのです。


祈れるようになったら祈るのではなく、

祈るほどに、祈れるようにされていくのです。












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