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執筆者の写真元気牧師

6月25日(日)



【聖句】


夕べがあり、朝があった。


(旧約聖書・創世記1章5節)



【黙想】


イスラエルの民にとって、

一日は日没からはじまります。


朝日が昇り、

目が覚めて、

新しい一日がスタート、

ではないのです。



日が暮れる。

仕事を終え、

家事を終え、

活動を終えて、

眠りに就く。


業を終え、眠る。

そこから一日がスタートする。


眠る。

闇の中で、

わたしたちは無防備な姿になります。


日が沈んでいる間は、

眠っている間は、

私たちは何もできません。

日が昇るまで、

体力が回復して、

目覚めるまで、

わたしたちはすべてを委ねて、

身を横たえるのです。


とても意味深いことだと思います。


わたしたちは委ねることから

一日を始めるのです。


神様に委ねて、

主にすべてを明け渡して、

わたしたちは眠る。

そこからすべてがはじまる。


私が!私が!

自分で!自分で!という

自我や恐れや心配を

手放して身を横たえて、

目を閉じることから、

はじまるのです。


すると、神さまが

神のお働きをおはじめくださる。

神様が自由に、お働きくださる。


神様のお働きを妨げているのは

あのことではなく、

この人でもなく、

多くの場合、

自分自身なのかもしれません。












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