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執筆者の写真元気牧師

4月9日(日)



【聖句】


わたしにとって、

生きるとはキリストであり、

死ぬことは利益なのです。


(フィリピの信徒への手紙1章21節)



【黙想】


今日はイースター。

イエスさまが墓から立ち上がられた、

よみがえりのお祝の主日です。


この喜ばしい日に、

使徒パウロの言葉が

心に浮かびました。


 わたしにとって、

 生きるとはキリストであり、

 死ぬことは利益なのです。


この言葉に続けて、

使徒は次のように語ります。


 けれども、

 肉において生き続ければ、

 実り多い働きができ、

 どちらを選ぶべきか、

 わたしには分かりません。

 この二つのことの間で、

 板挟みの状態です。

 一方では、この世を去って、

 キリストと共にいたいと

 熱望しており、

 この方がはるかに望ましい。

 だが他方では、

 肉にとどまる方が、

 あなたがたのために

 もっと必要です。


いろいろなことを

教えられる言葉ではありますが、

今日は一つのことを

分かち合いたいと思います


使徒パウロは、

死を全く恐れていないのです。

彼にとって「死」とは

「この世を去ること」であり、

それはイコール、

顔と顔とを合わせて直接、

キリストと共にいることなのです。

そしてこの方が、

彼にとっては世に留まるよりも

遥かに望ましいことなのだというのです。


使徒パウロにとって

「死」とは、

今よりもはるかに確実に、

はるかにそば近くに、

キリストと共にいるようになること。

だとすれば、

死もまた彼にとっては

恵みの出来事なのです。



ハイデルベルク信仰問答

問42の素朴な問答の言葉を

思い出します。


 問42 

 キリストがわたしたちのために

 死んでくださったのなら、

 どうしてわたしたちも

 死ななければならないのですか。

 答 

 わたしたちの死は、

 自分の罪に対する償いなのではなく、

 むしろ罪の死滅であり、

 永遠の命への入口なのです。


イエス・キリストの死と

復活のゆえに、

その主を信じ、

主に結ばれて生きる私たちの

死が根本的に変えられました。


もはや死は、

滅びでも恐れの対象でもなく、

罪の終わりであり、

永遠の命の入り口であり、

恵みの出来事なのです。








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