【聖句】
彼らは、自分の剣によって地を得たのでもなく、
自分の腕が彼らを救ったのでもありません。
ただあなたの右の手、あなたの腕、
あなたの御顔の光が、そうしたのです。
(詩編44編3節・新改訳)
【黙想】
とにかく、神様の御力に全面的により頼むことが、
私たちに勝利をもたらすのです。
「力を捨てよ、知れ、わたしは神。」詩編46:11
とにもかくにも、
本当に私たちは、自分の力ではなく神様の力だけに信頼する必要があります。
信仰の戦いは、
力を得、力づくで頑張る、そのための戦いではありません。
いかに己の力を捨て去ることができるか。
いかに自分の知恵や経験を手放せるか。
いかに「こんなの無理」「ありえない」「ばかげている」という内なる声に
抗うことができるか。
私たちが「これは自分の手柄だ」と思ってしまうような条件、状況の中では、
主は、ご自身の栄光をあらわされません。
主は、アブラハムの内から、
彼自身の可能性や希望のカケラが完全に消え果てるまで
忍耐強く待たれました。
そして彼が100歳になったとき、
すべての内なる望みが失せ果てたとき、
その彼を通して栄光をあらわしなさいました。
アブラハムは逆立ちしたって
「わたしの手柄、わたしの力だ!」なんて誇れなかったでしょう。
兄弟姉妹、
約束の地に入っていこうとしている神の民に、
モーセは次のように語りかけました。
・・・・
あなたの神、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、あなたに与えると誓われた土地にあなたを導き入れ、あなたが自ら建てたのではない、大きな美しい町々、自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑を得、食べて満足するとき、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないよう注意しなさい。(申命記6:10-)
・・・・
主が何を望んでおられるのかを思う時、
次の使徒パウロの言葉を、
我が言葉としていたいと思います。
・・・・
ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。
この並外れて偉大な力が神のものであって、
わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。
(2コリント4:7)
・・・・
心からアーメンです。
まっすぐに、土の器であり通したいと思います。
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