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執筆者の写真元気牧師

2月5日(月)




【聖句】


そこで、彼は行って洗い、

目が見えるようになって、帰って来た。


(新約聖書・ヨハネによる福音書9章7節)



【黙想】


昨日の説教で語り切れなかった部分。


主イエスに目を留められた、

生まれつき目の見えない人。


彼はイエスさまの言葉を聞いたのです。


・・・・

本人が罪を犯したからでも、

両親が罪を犯したからでもない。

神の業がこの人に現れるためである。

・・・・


生まれて初めて聞いた言葉!

想像すらできなかった新しい世界!


・・・・

こう言ってから、イエスは地面に唾をし、

唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。

そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。


そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。

・・・・


ここでもっとも大切なことは、

この生まれつき目の見えない人が、

主イエスの言われたとおりにした、ということです。

 

神の業がこの人に現われる。

 

そのために求められるただ一つのことは、

主のおっしゃったとおりにする、ということです。

 

いつかは私にも彼のような素晴らしい神の業が起こるのかしら、と思いながら、

昨日までと同じように生きていたら、何も起こりません。

 

奇跡は、主の御業です。

しかし、奇跡を受けとるための準備は、

私たちの仕事です。

  

主は決して、できないことをしなさい、とはお求めになりません。

 

親は、ハイハイしている赤ん坊に、

立って歩け!と求めることはしません。

 

同じように主は、

私たちに、できないことを命じられない。

誰にもできないようなすごいことをせよ、とはおっしゃらない。

 

主はあなたができる精一杯のことを、

信仰をもって、なすように招いているのです。

 

「シロアムの池にいって洗いなさい」。

 

そこから池まではおよそ1キロ弱の下り坂です。

確かに、目の見えない人にとっては簡単ではない道のりです。

 

でも、不可能な道のりではありません。

 

彼の持っているものを精一杯ささげるならば、

彼が神の業の表れを信じるならば、

必ず歩き通せる道のりなのです。

 

あなたの目の前にも、

主が開いてくださる道があります。

 

主が歩きださせてくださる道があります。

 

歩けない道ではありません。

信仰をもって一歩踏み出すなら、必ず歩ける道です。

 

そしてそうやって踏みだすなら、

その一歩を主は祝福し、

必ず御業を表してくださるのです。

 

そこで、彼は行って洗い、

目が見えるようになって、帰って来た。

 

これこそ、

主イエスの弟子たちの姿です。



大切なことをもう一度申し上げます。


主の奇跡を体験したいのなら、

誰にもできないことをする、ではなく、

主のおっしゃったことをたんたんと、行うのです。

聞き従うのです。



さあ、今度はあなたの番です。







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