【聖句】
わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。
ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。
(新約聖書・使徒言行録3章6節)
【黙想】
エルサレム神殿の美しい門のところに座って
何十年と物乞いをしていた男。
そのそばを通りかかったペトロとヨハネ。
彼らはその物乞いの男に語りかけました。
「わたしたちを見なさい。」
その後の物乞いの男の反応について、聖書はこう記しています。
・・・・
その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると・・
・・・・
彼は、「何かもらえる」と期待したのです。
期待をもって、言われた通り二人を見つめたのです。
彼が期待したものとはなんだったでしょうか。
まさか1デナリオンなんかもらおうと思ってなんかいないでしょう。
レプトン銅貨1枚でもいいから
私の前に投げてほしい、パンの一つでもいいから。
これが彼の期待ではなかったでしょうか。
これに対してペトロとヨハネは何を与えましたか。
聖書はこう続きます。
・・・・
ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」 そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩きだした。
・・・・
彼らは、男が期待していたものをはるかにこえる祝福を、
彼に与えたのです。
もう少し掘り下げれば、
彼らは、神がその足萎えの男に与えたいと願われたものを、
彼に与えたのです。
兄弟姉妹、何を申し上げたいか。
私たちは、主に祈り求めるとき、
無意識のうちに、自分の期待する、自分で予測する
「これくらいかな」という器をもっているのではないでしょうか。
この程度かな。こんなもんかな・・・。
兄弟姉妹、
そんなに小さな器で本当にいいのですか?
神があなたにお与えになる祝福を、
あなたが制限してしまっているのではありませんか。
祈りの座には、袋も、風呂敷も、10tトラックも、
もっていかないでください。
ただ心を大きく開いて申し上げるのです。
「主よ、あなたが与えたいと願っていてくださるものを、
わたしは今日、すべていただきます。ください!
わたしは自分自身の小さな袋を、
この古びた革袋を手放します。
新しい革袋をもって、信仰の革袋を広げてあなたを待っています。
わたしはあなたがくださるもの、してくださることに
心から期待します!」
大きな祈り。
それは、あなたが大きなことを祈り願うということである以前に、
神の大きな祝福、神の大きさ、神の豊かさに期待して祈り始めるということなのです。
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