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執筆者の写真元気牧師

10月16日(月)



【聖句】


わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。

ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。


(新約聖書・使徒言行録3章6節)



【黙想】


エルサレム神殿の美しい門のところに座って

何十年と物乞いをしていた男。


そのそばを通りかかったペトロとヨハネ。


彼らはその物乞いの男に語りかけました。

「わたしたちを見なさい。」


その後の物乞いの男の反応について、聖書はこう記しています。


・・・・

その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると・・

・・・・


彼は、「何かもらえる」と期待したのです。

期待をもって、言われた通り二人を見つめたのです。


彼が期待したものとはなんだったでしょうか。

まさか1デナリオンなんかもらおうと思ってなんかいないでしょう。


レプトン銅貨1枚でもいいから

私の前に投げてほしい、パンの一つでもいいから。


これが彼の期待ではなかったでしょうか。



これに対してペトロとヨハネは何を与えましたか。

聖書はこう続きます。


・・・・

ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」 そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩きだした。

・・・・


彼らは、男が期待していたものをはるかにこえる祝福を、

彼に与えたのです。


もう少し掘り下げれば、

彼らは、神がその足萎えの男に与えたいと願われたものを、

彼に与えたのです。



兄弟姉妹、何を申し上げたいか。

私たちは、主に祈り求めるとき、

無意識のうちに、自分の期待する、自分で予測する

「これくらいかな」という器をもっているのではないでしょうか。


この程度かな。こんなもんかな・・・。


兄弟姉妹、

そんなに小さな器で本当にいいのですか?


神があなたにお与えになる祝福を、

あなたが制限してしまっているのではありませんか。



祈りの座には、袋も、風呂敷も、10tトラックも、

もっていかないでください。


ただ心を大きく開いて申し上げるのです。


「主よ、あなたが与えたいと願っていてくださるものを、

 わたしは今日、すべていただきます。ください!

 わたしは自分自身の小さな袋を、

 この古びた革袋を手放します。

 新しい革袋をもって、信仰の革袋を広げてあなたを待っています。

 わたしはあなたがくださるもの、してくださることに

 心から期待します!」



大きな祈り。

それは、あなたが大きなことを祈り願うということである以前に、

神の大きな祝福、神の大きさ、神の豊かさに期待して祈り始めるということなのです。










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