【聖句】
父がその子を憐れむように
主は主を畏れる人を憐れんでくださる。
(旧約聖書・詩編103編13節)
【黙想】
お昼過ぎ。
たまたま車で、息子の小学校の校庭の横を通りかかりました。
ちょうど昼休みだったのか、
たくさんの児童が校庭に出ていました。
見つかるはずないのに、
「いるかな~」と目をやると、
ちょうど道路のすぐ近くのブランコの近くに
息子の姿が見えました。
何をしていたのかまではわかりませんでしたが、
友達に声をかけているような、
何かに夢中になっているような、
そんな充実した横顔が見えました。
運転中ですから凝視するわけにはいきません。
ものの2秒くらいだったでしょうか。
それでも、なんだかとても嬉しく感じました。
その日の夕方、
このことを彼に話し
「あのとき何してたの?」と聞くと、
友達と鬼ごっこをしていたこと、
教育実習の先生も一緒だったこと、
最後は鬼6人ぐらいに狙われて、
全速力で逃げ回ったこと・・・
いろいろなことを話してくれました。
親は、そんな他愛もないことでも
子どものその日の出来事や
感じていること、なんでもいい、
とにかく聞きたい。
話してほしい。
聞くよ!話して!と思っている。
いつでも待っている。
子どもから語りかけてきてくれることは
とても嬉しい、喜ばしいことです。
兄弟姉妹、
天のお父様もきっと同じなのです。
天の父は、
私たちの祈りを待っていらっしゃる。
私たちが父に呼びかけるのを
期待して耳を澄ませていらっしゃる。
別に立派な、かしこまった、
洗練された言葉で語りかける必要はないのです。
もしそうしなければならないなら、
祈りはすごく不自然で、堅苦しくて、
早く終わりにしたいとしか思えないものに成り下がってしまうでしょう。
学生時代、ドイツ語を習ったとき、
ドイツ語には、英語のYou「あなた」にあたる言葉が二種類あることを初めて知りました。
かしこまって相手を呼ぶとき、
親しくない人や初対面の人に呼びかけるときの「Sie」という言葉。
愛する人や親密な相手、
家族が互いに呼びかけるときに使う「Du」という言葉。
先生から、天の父なる神様に祈るときには「Du」を使うんだ、
って聞いて驚きました。
イエスさまが与えてくださった、
イエスさまが伝えたかった祈りって、
神を父と呼び、
父に「Du」と呼びかける祈りなんだと思います。
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